カテゴリ:哲学( 2 )

若いころ読んだ本の一節

 大学二年のとき、フランス語の授業でバンジャマン・コンスタンの『アドルフ』という小説を読みました。フランスの心理小説の一つで、鋭い人間観察で知られる作品です。

 大学入学後の虚無的な私の思いに、かなりの影響を与えた書物でした。

 先日、フランス語の講義を非常勤でやったときに、学生の質問からフッと口をついて出るほどに憶えていた一節(ただし、そのとき正確に思い出したわけではなかったんだけど)を、書き出しておくことにしました。フランス語原文が、今、見つからないので、邦訳から。

「・・・私は人生のはかなさを思い起こさせるような詩を好んで読んだ。私にはどんな目的も、なんらの努力をはらう価値はないように思われた。しかし、年をかさねるにつれて、この印象が薄れてきたのは、まずふしぎというべきである。おそらく、希望というものの中にはなにかあいまいなものがあって、人間の一生からその希望がしりぞいていくにつれて、人生はいっそうきびしい、いっそう現実的な性質をおびてくるものだからであろうか。雲が消えると岩山の頂が地平線にいよいよくっきりと描かれるのとおなじように、あらゆる幻想が消えるとそれだけ人生はいっそう現実的に見えてくるものだからであろうか。」
(竹村 猛訳 『アドルフ 赤い手帖 セシル』 白水社 1987年 pp.16-17)
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by fiesole | 2007-06-24 22:55 | 哲学

講義予習も大変

所属は情報科学研究科で、情報学みたいなことを教えていますけど、全学教育科目で「哲学」を教えていたり、他大学では、フランス語とか、イタリア文化みたいなことを教えていたりします。講義の予習は、結構、大変。

先ほど、明日の「哲学」講義の予習がやっと終わりました。

アランという哲学者の『定義集』という本を講読していくものです。
たいていは、一回で一つの定義だけ。ABC順にやっています。
明日は「欲望」の定義について。

講義のやり方は、まずホワイトボードに定義をフランス語原文で書き、それについての文法も含めた分析をした上で、現存する邦訳(森有正訳と神谷幹夫訳)を検討し、それを基に私の解釈をかなり含めた形で講義します。

もう何年も続けている講義なのですが、まだアルファベットのDのあたりをウロチョロしているのです。

だんだんと、学生に配る資料も増えていき、明日の分はA4で10枚。もっともダブルスペースですし、ゆったりとレイアウトしていますが。

全学教育科目という性格上、哲学を専門にする学生は皆無に等しいので、この資料にさらに多くのことを口頭で補足しなければなりません。

まあ、講義は(予習も含めて)嫌いではないというより、好きな方なので、あまり苦にはなりません。
大変ではあっても、予習中や講義中にインスピレーションが訪れるときは本当にいいものです。
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by fiesole | 2007-05-06 22:55 | 哲学